私たちの政治行動の提案  Sad East Asia

選挙ではどうすればいい?


選挙という民主的制度が欺瞞である、というのはそのとおりです。一票の格差のことを言ってるのではありません。一方に強力な武器を持ってる人がいて、一方に何も持っていない人がいて、さぁ一人一票です、自由に投票しなさい、というのが資本主義社会での選挙です。「強力な武器」とはもちろん金。これで買収し、マスコミをコントロールするのです。ですから民主主義とは、大金持ちが自分たちの金儲けシステムを守るための政治を正当化するための制度と言っていいでしょう。

せいぜい、マスコミをうまく使って”自発的”に投票していると思い込ませることに成功している国が民主的な国、金で雇った暴力で支配しているのが非民主的な国と言われているくらいの違いです。

だからといって選挙を冷笑していては困ります。だってそのせいで、安倍のような「右翼、軍国主義者」(本人が呼びたければ呼べと開き直っている。)が首相になってしまって東アジアを台なしにするかもしれないのだから。

とは言っても、私たちのような「近代国家を無化しよう」などと訴えている候補者なんてどこにもいません。大衆に迎合しようとする政治屋ならなおさらです。そこで、所属政党には関係なく、できるだけ国家主義的ではない候補を個別に選んで投票、回りに投票を呼びかけることになります。

さらに最悪の結果、例えば、維新だの自民党右派の国家主義者が当選しそうな場合には、その対抗馬への投票、呼びかけという選択もあるでしょう。「あんな党の人に?」と回りから思われるかもしれませんが、私たちがめざしている遠い目的に比べたら、いま、政治的潔癖を貫く必要はありません。

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天皇に手紙を書こう


中国が法治国家ではない、と批判されるのは当然です。しかし日本も本質的に変わりありません。法に触れているのでもないのに非難を浴びることがいくらでもあります。その一つが山本太郎氏が天皇に手紙を手渡したという”事件”についての反応です。こうした行動はタブーなのだそうです。天皇が神聖だと考えて、特別な気持ちを持つ人がいるのは、その人の自由です。でもそれを人にも押し付けられては困ります。

だいいち常識的に考えて、天皇に手紙を送ったり手渡したりしてはいけないというのは天皇の人権無視そのものでしょう。戦前ですら、軍国主義者に囲まれていなくて、一般民衆との交流が自由にできていれば、開戦なんて決断をしなかったかもしれません。ましていまは民主主義の世の中です。勝手に形成しているタブーを利用して反原発派を批判しようという計算が見えすいています。

こうした計算に原発反対派は乗ってはいけません。「方法が悪い」とか大人ぶって山本太郎を批判したりしないで「手紙を手渡して何が悪い」と開き直るべきです。だいたい、タブーのある社会は外に向かって排外主義になると言われていて、今回”山本批判”発言をしている連中はみんな右翼国家主義者であることからもそれはよく判ります。さぁ、みんなで天皇に手紙を書こう。天皇の人権を守るためにも。住所や名前を正直に書くと宮内庁から公安に回されるだろうから匿名がいいと思う。住所?東京都千代田区で行くのでは。

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